挨拶回り・ライカ」
〈カミラ砕人・サイド〉
暖色の蛍光灯と夕暮れの太陽に照らされ、赤く燃え上がった狭い室内に、ストーブのうえでシュシュと気をあげるヤカンの音だけが響いている。
「もう、本当にムチャするんだから……」
ゴシゴシ。
頭を乾いたタオルで拭かれている少年が口答えした。
「でも、俺がアイツ……このエリアのJF(ジャイロファイター)、熊野のやつにもう一度勝つためには、いまのままじゃダメなんだ!」
少年特有の甲高い、まっすぐな決意を示す絶叫に、それを受けた女性――金髪緑眼のたおやかな雰囲気をもった絶世の美女は、聞かない子供とかすかな苦笑をもらしながらも、見守るような温かみに満ちた視線を注ぎ、役目を果たしたタオルを手に巻き取った。
突然にこの少年、亜門砕人が北の最果てへ訪ねてきたのが先週のことである。
前年度JFC優勝者である、終生のライバル熊野との野試合で敗北を喫した彼は、一ヶ月先の約束である再戦に燃えて、対熊野の作戦を練るべく、ライバルの故郷であるこのエゾへと足を運んだのだ。
そして周囲の制止も聞こえぬかのように、ただ闇雲にジャイロを振り回し、降りつもる雪の布団へと倒れ伏したのがつい先刻のことであった。
「砕人君は本当にジャイロファイトが好きなのね」
「あったりまえさ! そんなの、カミラ姉ちゃんはよく知ってるだろ?」
我が意を得たりと満面の笑みをこぼし、無邪気な顔を上向けて、砕人と呼ばれた少年は、机のうえで持ち主を待ちうけるマシーンへ手を伸ばす。
そのあわてぶりに、カミラと呼ばれた女性が「あ」と思ったときにはもう遅く、バランスを崩した砕人は転げるように床へと崩れた。
「砕人君!」
「あいって、ててて……」
「大丈夫?」
心底からの心配顔で、手を取るカミラ。
幸いにして擦り傷などはできていないようだが、なにぶんカーペットもない古い木造の小屋である。硬い床面のために打ち身のひとつはできているかもしれない。
そう考えたカミラは、やおらに砕人の服をまくり上げた。
「か、かかか、カミラ姉ちゃん!?」
「怪我してるかもしれないわ! すこし見せてね」
その前触れがない行為で、まくられた服のなかでは砕人の顔がみるみる紅潮しているのだが、それと気づかないカミラは砕人の体を回れ右させて、いましがた床へうちつけられた背中を点検していく。
「うあ……あぅあぅあぅあ……」
わずかに赤みをおびている箇所へと手で触れる。
「ど、どう? 痛くないかしら?」
「こ、ここ、このぐらいなんでもないよおー!」
砕人の声が上ずるのも無理はない。年上の女性に裸をさらすというだけでも、まだ年若の砕人にはとてつもない羞恥だというのに、おまけにその女性は彼にとって初めて憧れた、初恋の人なのだから。もっとも、その点について砕人本人に自覚はないが。
それはそれとして、どうやら本当に何事もないらしいと知ると、カミラは深い安堵の息をつく。
そして、砕人の頭をすっぽりと覆いつくしていた服を元に戻そうとしたとき、思わず砕人の背中へ触れたカミラの手に、氷のようにひんやりとした温度が伝わった。
「さ、砕人君……」
「ん、んん?」
さきほどはごく瞬間的に触れただけであったためわからなかったが、こうして改めて撫ぜてみると、砕人の体がひどく体温を喪失していることが知れる。
カミラを後悔が襲った。
濡れた髪を拭いていたときから、砕人の顔が冷え切っていたことは感じていた。
であれば、この小さな体がどんな状態にあるか、想像してしかるべきだったのだ。
まったく、自分はいつも、注意が足りない。
唇を噛み締めて自身を責めながら、カミラは砕人の背を押して立たせた。
「すぐお風呂に入りましょう。体が冷たくて、まるで氷みたい」
「う、うん」
母親に叱りつけられたときのように、素直にうなずくと、うながされるまま砕人も浴室へと足を向ける。
本当はもう少しゆっくり、ストーブで暖をとってからとカミラは考えていたが、これではすぐさま体の芯から暖めてやらないと風邪をひいてしまう。
自然、急く形で砕人を体全体で押すと、女性にしては長身のカミラに比べ頭二つは小さい砕人の後頭部で、柔らかな二つのふくらみがぐにゃりと歪んだ。
「わ、わわわわ、わーわーわー!」
「ど、どうしたの? 砕人君?」
砕人のうろたえが伝染して、カミラの声もどもる。
「な、なんで、なんでもないよ……」
服をまくられたときのように顔を朱に染めつつ、砕人は小さなつぶやきを口のなかで繰り返すのみだ。
「?」
「は、早く行こう姉ちゃん!」
「???」
そんな少年の純情にはまるで気づかず、カミラは中空と顔に疑問符を踊らすのだった。
所変わって、浴室。
「って」
「なあに? 砕人君」
「なんでカミラ姉ちゃんも脱いでるんだよー!」
脱衣場。
手取り足取りで服を脱がされたところまででも渋々だった砕人が、衣擦れの音になにげなく振り返ってみると、「んしょ、んしょ」とカミラが大急ぎにセーターを脱ごうとしていたのだ。
「で、でも、急いで温まらないと……」
「ひ、一人でできるよ! 俺もう○年生なんだぜ!?」
「ダメよ、ダメ。男の子ってカラスの行水をしがちだから……」
「ちゃんとあったまるからさ!」
上半身だけの素肌を見られたり、少々胸が当たった程度であたふたしていた砕人のこと。もちろん決して嫌ではないのだろうが、少年らしい潔癖さが、女性との同浴を拒絶するらしかった。
しかし、それもカミラが至極悲しそうな表情を浮かべると、後悔とともにあっさりと後退してしまうようだ。
「でも、私が洗ったほうが、すぐ湯船に入れるし……」
カミラにすれば、ただ純粋な心配から申し出ていることであるから、それがわかる砕人には、もはやうまい言い訳も浮かばない。
「で、でも……でもさ」
口ごもりつつボソボソとやるのは、これもまた少年らしい往生際の悪さだろうか。
カミラはそれに取り合わない。
常であれば決して人の嫌がることを無理強いしたりはしないカミラだが、いまは砕人の健康がかかっているのだ。というほど大げさでもないが、一刻でもはやく入浴したほうがよいには違いない。
砕人の反論が尻すぼみになったと見るや、向かいあわせの胸を押し出し、浴室へともに足を踏み入れた。
「さあ、砕人君。座って」
「う、うー……」
まだ納得しきれない様子の砕人である。
それを見るとなしに見ながら、シャワーノズルから噴出すお湯を手にあてて、適温になるのを待つカミラ。
「ん……これでいいかしら……砕人君。ちょっとだけ熱いかもしれないけど……」
「う、うん」
砕人が返事を返すと、人肌に気持ちよく整えられた温水が、砕人の体に降り注ぐ。
熱く感じたのはほんの一瞬で、まだ内側からの冷気が消えない身を、シャワーが柔らかく包み込んだ。
「いい?」
「うん、気持ちいい……」
言葉通りの快楽を表すように目を細め、力を抜いて息をつく砕人。
そのまま、一通り砕人を濡らすと、シャワーを切ったカミラがいよいよ洗面タオルを手にする。
「あ、あのさあ、カミラ姉ちゃん、やっぱ」
「なあに?」
おそらくは、抗議をあげたかったであろう口からは、言葉の途中でもたらされたタオルの感触で、わけのわからない奇声がほとばしった。
「わひゃあっ!?」
「きゃ! お、おとなしくして、砕人君……すぐ済むから、ね?」
「わ、わかった……」
またしてもうーうーと砕人が唸り始めるのを、できるだけ聞かないようにしつつ、手早く背中を洗っていく。
「さ、こっち向いて。砕人君」
「へ? え、えええー!?」
あろうことか、死の宣告。
「じ、自分でできるよお!」
「ついでだから、ね」
「ダメだったら! ダメだよ!」
「も、もう……お願いだから、いうこと、聞いて」
しかし今度は、砕人も渾身の力で抗う。
さすがにこれだけは譲れぬ一線なのであろう、思春期である。
もみあいへし合いするうちに、砕人の肘が柔らかなものに食い込む。
ぐにゅり。
「きゃ」
「えあ……」
まさかと砕人が目を背後にやれば、まさに美女の巨乳と魔性のドッキング。
「えわあああー!?」
絶叫。
もはや支離滅裂の思考で、わやくちゃに手足を振り乱す砕人を押さえ込もうと、どうにか悪戦苦闘するカミラではあったが、本気で暴れる男の子を女性の身で押さえ込もうというのは並大抵ではない。
結果、二人はもつれあうようにして、浴室の床へと転がった。
下敷きになった砕人。
そのうえで覆いかぶさるように倒れるカミラ。
うつぶせで喘ぐ口からは、もうなんの言葉もなく、意味をもたない息がパクパクと漏れるばかり。
涙目になった顔面が、ユデダコを彷彿とさせる紅潮を見せるのは、背にあたる、というより押し付けられた、柔らかな女性の象徴によるものである。
「はぅ、はぅ、はぅ」
さすがにこれには、砕人を男性として見てはいないカミラの頬もみるみる染まる。
「あ、きゃ、あ……ご、ごめんなさい!」
急いでどこうともがくが、焦れば焦るだけうまく立ち上がれず、そのたび砕人の背に、胸のみならずその頂点の突起がこすれ、言葉もない砕人の身じろぎが段々と小さくなっていった。
時がたつ。
意図的に、あるいは無意識的に避けていた部位ではあった。
しかし、他のあらゆる箇所をタオルは辿った。
あとはそこに行くしかない。
その部位へ対するためらいから、つい手が遅れたということもあり、もうできるだけ速やかにコトを済ませ、砕人の体を湯船へ入れてやらねばならない。
わかっている。それはカミラにもよくわかっている。
が、しかし。
「……」
洗わずにそのままという選択肢も、なきにしもあらず。
ではあるが、○学生の男子というものが、いかに清潔に関し頓着しないか、知らないカミラではない。
時は過ぎる。
この逡巡の間に間に、砕人の身は病魔を受け入れてしまうかもしれない。
あきらかに大げさであるのだが、血縁でもないこの少年を、我が子か我が弟のように可愛がるカミラである。気が気ではない。
ゴクリ。
緊張から沸いた唾を飲み下し、カミラが動いた。
「えい」
「あひゃあっ!?」
狭い室内に反響する桃色の嬌声。
覚醒もしよう。実に敏感な器官であるのだ。
「わ、わわわわわわわわ」
あふれる声は用をなさない。
「なんっ、なん、なん」
それどころか、いま己がなにをされたか、それすら把握していない様子であった。
「砕人君、これが最後だから、ね」
「なにしてるんだよっ!?」
めっ、と叱りつけるような、優しいようなカミラの表情を、砕人は凝視する。
「じじじじじじじじじじじじいじじじじじい……ジッ!?」
ズルリと、泡にまみれたタオルが器官を滑る。
おそらくは「自分でできる」と唱えたかったであろう形に口を開いたままで、砕人はのけぞった。
関知せず、真面目ぶったというより、本人大真面目なのだが、眉を逆八の字にそらせた表情のカミラが、熱心にそこへタオルを這わせる。
ペニスを比率で圧するような陰嚢ばかりが目立つ秘所を、カミラの手によるタオルが泡立てていく。
「や、はぁ、んぁ……」
もう喘ぐばかりの砕人が視線を注ぐそこでは、雪のように真白く、また柔らかな肉質をもったカミラの手が蠢いていた。
陰嚢を持ち上げ、裏側を。
陰嚢と太ももの接地面を。
そして、申し訳なさげにこうべを垂れた、桃色の包皮に包まれたペニス自体を。
やわやわと、カミラの手とタオルが撫ぜていく。
「あ……はぁ……あ、ん」
砕人の声帯から漏れ出る声は、いつしか聞くものの脳を侵す、怪しく艶めいたソプラノをあげていた。
その効果は、慈母のようなカミラにさえ、いつしか変化をもたらす。
白い頬が、首筋が、浴室に立ち込める温度のせいばかりではなく、上気させられていく。
自覚もないまま、カミラの意識はぼかされたようにのぼせていった。
それは、まさしく少年の奏でる淫声のため。
そうとは気づかないカミラは、意識することなく、その申し出をしていた。
「……さ、……砕人、君」
「ふぁ……ん」
「剥いて、洗わないと、……ね」
カミラよりよほど早く、心を快楽郷へと飛ばしていた砕人は、カミラの胸元、ゆらゆらと重そうに揺れるふたつふくらみへいつのまにか移した視線をそのままに、コクリと首を縦に振る。意味もわからないままに。
「う……ん」
「じゃ……あ」
実際のところ、カミラにしても、了解を求めていたわけではなかった。
たとえ拒否されていたとしても、無言のまま、手は自然に動いていただろう。
すっぽりと、しかしシワ少なく、少年の陰茎を覆って隠すその皮を、ボディソープで濡れた手がなでつける。いよいよカミラの胸が高鳴る。
ほんの少しの力を込めて、陰茎を挟み込んだ二本指が動いたその瞬間の出来事だった。
「あふぁ……!」
色素の薄い包皮より、さらに桃色に光る頭部が暴かれたに見えたと同時。
ひときわ大きな嬌声が、砕人の口から放たれ、わずかに膨らみ、それが弾けた。
「あ、あ……あぁ……ん」
糸を引くようなか細さで、砕人の声が沈殿する。
自失したカミラが最初に知覚したのは、春草のような青臭さだった。
不快感などあろうはずもないそのもの――目前の愛らしい少年から放たれたザーメンが、濃いぬめりを保ちながら、カミラの玉肌を伝う。
(くさ……い……でも、嫌な匂いじゃ……ない。……ううん、むしろ)
まだ淫夢から覚めやらぬカミラが、ゆっくりとした動作でその液体を、人差し指で救いとったときだった。
「え……?」
平素勝気な、そしてついさきほどまでは淫蕩にかすんでいた砕人の目元が、ひきつる。
「う、うわ」
「……」
「わああああああ!」
そんな声を出したら、喉が裂けてしまうのではないかと、カミラが正気に遠い思考のままぼんやり考えていると、砕人がガタンと椅子を蹴立てて立ち上がった。
「な、なんだこれ……なに……」
恐怖が少年の顔を彩って。
「なんだよこれええええええ!」
ひきつれた頬に、それを表す涙が伝った。
「え……え?」
繰り広げられる狂態に、カミラの意識が急速に現実へと舞い戻る。
「ど、どうしたの砕人君!」
「ね、姉ちゃあん……おれ、おれ……病気になっちゃったよぅ」
また中途半端なとこで切って申し訳ないです。
ウルルカ出るのいつになるだろ。
「え……」
我に返ったばかりのカミラにはわからない。砕斗の不安がわからない。
「なん、なんか、白いの出て……変なの……」
そこまで言ったところで、砕斗の血相が変わった。
「あ! ね、姉ちゃん! カミラ姉ちゃんにもかかって……うぇ……ご、ごめ」
「落ち着いて、砕斗君」
「ごめ、ごめっん、ねえ、姉ちゃんも病気になっちゃうよ! 姉ちゃんも病気になっちゃうよおおお!」
叫び様伸ばされた手が、カミラの頬を乱雑に拭う。砕斗はまさに狂乱の極みに達していた。振り乱された涙が床やカミラの肌へと散り飛ぶ。
カミラは思う。
精通のことを知らない年齢ではないはずのこの少年が、こうまで取り乱す。
きっと、それは、事実知らないからだ。
他のなにもかもを打ち捨てて、ひたむきにジャイロのことだけを考えてきたこの子は、同年代の少年たちが興味を持って迎える知識に接する機会がおそらくはなかったのだ。
だからこそ、こうもうろたえる。
精液という、怪我から湧き出す膿のようにも見える液体が、生まれて初めて自分の体内から放たれたのだ。
なにも怪我などしていないのに、それはおかしい。異常だ。
幼い少年の世界が、そう結論づけたに違いない。
カミラの胸を、痛ましい悲しさが占めた。
「大丈夫……」
「ひくっ、ひく、ぐふっ」
鼻水まで垂れて顔をしわくちゃにするその子を、カミラはそっと、けして押し付けがましくないよう、優しく抱きしめる。
「ね、ね……ちゃ、さわっちゃ、駄目っだよ」
「大丈夫……」
なんて優しい子だろうか。
恐ろしくてたまらないだろう、これまでなんの問題もなく健康だった体に、突如訪れた異常。
胸が裂けるほどの緊張と恐怖に苛まれて、余裕などまるでないはず、いまでもこうしてぶるぶると身をおののかせている。それでもこの子は、カミラを心配して、自分に触るなというのだ。
心のほかほかとするような愛しさが、たちまちカミラの胸中を満たした。
「なんでもないのよ……」
「ひく、うぇ、うっく」
「なんでもない、男の子なら、それはみんなあることなの……」
安心させるよう、ますます深く砕斗を引き寄せ、ふくよかな双乳へとその顔を抱きとめる。
「大人になったら、みんな出るようになる。これはね、ザーメンっていうの」
「え……?」
カミラの胸へ、鼻水や涙やこぼしながら、砕斗が顔をあげる。
それを感じて、ほんの少し顔を引き、見上げた砕斗と視線を合わせながら、カミラは続けた。
「体がね、大人になったら、みんな経験することなのよ。病気なんかじゃない、どこも悪いことはないの」
「そ、それじゃあ、俺、だいじょうぶ……?」
「ええ」
カミラの顔で笑みが咲く。
それを見たとき、砕斗から震えが消えた。
「ずず」
安心しきった雰囲気で、砕斗が鼻をすすりあげる。
笑顔のままにその頭をなでて、カミラも安堵した。
「……うー」
さわさわと、髪のうえからなでられるのはよほど気持ちよいのか、うっとりと目を細めながら、しかし少々不満げな言葉を砕斗はこぼす。
「俺……かっこわるいとこ、見せちゃった」
「そんなことないわ」
ばっとばかりにおもてを弾けさせ、砕斗が抗議した。
「そんなことあるよ! ……あんな、あんなさあ」
「私は普通だと思うわ」
「……」
「誰だって、怖いことがあったら平気でいられないもの。砕斗君はザーメンのことを知らなかったんでしょう?」
「う、うん」
納得できないのか、砕斗の頷きはぎこちない。
「それなら無理もないわ。いきなりあんなものが体から出たら、取り乱さないでいられる人なんていないと思う」
「……狼牙兄ちゃんも?」
「……え」
「狼牙兄ちゃんも……そうなのかな」
その疑問には、カミラも少々考え込む。
狼牙君……誰よりも強い瞳をしたあの人。
ときに射抜くような、ときに包み込むような、なにがあろうとそらさない、強い瞳のあの人なら。
「ちがう、よな」
「……」
「きっと、兄ちゃんだったら」
このことに関して、砕斗とカミラの思いは同じらしかった。
カミラもそう思う。狼牙という名のあの少年ならば、どんな事態に直面しようと、必ず逃げない。怯えない。
「俺……兄ちゃんみたいに、なりたいんだ」
「……それは」
「わかってる、わかってるよ。こんなことでおろおろしてる俺なんか、狼牙兄ちゃんには全然かなわないって」
「砕斗君!」
狼牙のことを思い浮かべたそのときに、言いよどんでいたこと、恐れていたことを口にした砕斗に、ついカミラの声が高まる。
それを恐れる様子もなく、砕斗は続けた。
「でもさ、でも……いつか、兄ちゃんみたいな男に、俺はなりたいんだ」
少年の決意表明は、まるで狼牙を幼くしたような強い光をその目に宿していた。
「……なれるわ。きっと」
「……うん」
「いまの目、狼牙君に似ていたもの」
「え……。へへ、そっかな」
そう言われた途端、照れてあっさり力を抜いた砕斗に、内心苦笑しつつも、カミラは改めてその髪に手を乗せる。
「大丈夫、砕斗君なら、……大丈夫」
彼のなかのヒーローに、彼自身がいつか追いつくことができますように。
また目を細める砕斗を見つめながら、カミラはひっそりと神に祈った。