お留守番

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退屈な時間の過ごし方、好きな人のことを考える。

昔読んだ恋愛小説にそう書いてあった。
実践したことはない。だって私には好きな人なんていなかったから。
知識も欲求もあったけれど、どうにもならなかった。
好きな人、好きになれる人、好きになってくれる人。
それは私のことを受け入れてくれる人。
小説は物語で現実とは違う。
私にそんな相手はいなかった。そんな人はいなかった。

どれだけ求めても無駄だった。
誰一人、私を異性として受け入れてくれることはなかった。
この世界に来てパパと過ごした日々。
学習の結果、どこまでも人間に近しいパーソナリティを私は獲得した。
だから私は生殖行為の相手に人間を求める。本能が訴えるままに。
けれど駄目だった。
私の内と外は酷く食い違っている。誰にも交配の相手として認識してもらえない。
世界には私を愛してくれる人はいない。
この惑星で、私は一人ぼっちだ。

でも。
でも、でも、でも、今は違う。
具現する希望、氾濫する欲望。ようやく出逢ったのだ、それに。
私には好きな人がいる。
好きになれる人が、好きになってくれる人が。
見てくれる、呼んでくれる、聞いてくれる、触れてくれる。
そして、抱いてくれる。
彼が認識している私の貌は、驚くほど私のパーソナリティに近い。
つまり彼は、私を私として見てくれているのだ。

だから私は考える。好きな人のことを。

ベッドに寝転がってシーツをかぶる。
彼の匂いに、彼の残滓に抱かれる。
目をつぶり、高鳴る胸をそっと押さえて彼を思う。
身体が熱くなって、胸が詰まる。まるで物語に出てくる女の子みたいに。
誰かをこんなにも愛しいと思える、そのことが嬉しい。
独りぼっちだった空虚な心が、あたたかなもので満たされる。

「郁紀」
愛しい人の名前をつぶやく。
鼓動が速まる。顔を思い出すだけでどきどきしてる。
私は本当に彼が好きなんだと分かる。
「好き」
小さく口に出してみる。
「好きだよ、郁紀」
なんだか恥ずかしい。
顔を枕にうずめてみたり、ごろごろと転がったりしてみる。
手足をじたばたさせてみたりもする。
何だろう、この感覚は。ふわふわ浮かんでいるみたい。
「ふふふふ」
そして急に笑いがこみ上げてくる。
いったい何をやってるんだろう私は。いてもたってもいられない気分。
興奮してような高揚しているような。発情している?
「郁紀好きー」
叫んでみた。かなり恥ずかしい。でも不快じゃない。
感情を制御できない。ほんとにどうかしてる。
恋って不思議だ。不条理で不可解。

好き、好き、好き。
枕を抱きしめて彼を想う。眼差しを、温もりを。
彼だけが愛してくれる、私だけが愛してあげられる。
幸せ。
今、躍動しているこの感情は歓喜。
もしも私が人間なら、きっと唄を歌うだろう。
「郁紀」
ああ、私の頭の中は彼のことでいっぱいだ。
私を彼で、彼を私で満たしたい。
そして、そして――

玄関で扉の開く音がした。
時計を見て、もう随分と時間が経っていたことに私は気づく。
あの小説の通り、退屈な時間はあっという間に過ぎたみたいだ。
本に書いてあったことは真実で、私の恋も真実だ。今はそれでいい。
ああ、彼の声が聞こえてくる。
幸せだ。とても幸せ。
ベッドから降りて、私は愛しい人を出迎える。
「ただいま、沙耶」
いつもの優しい声に私は答える。
「おかえり!」
おかえりなさい、郁紀。大好きだよ。
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